********************************************************************** エピソード『無明の天使』 ======================== 登場人物 --------  倉守雛(くらかみ・すう)     :按摩師にして魔道エージェント。 http://kataribe.com/HA/06/C/0501/  ブリジッタ洗馬清香(−・せば・さやか)     :悪魔祓いも行うおっとりシスター。修道名はベルナデッタ。 http://kataribe.com/HA/06/C/0527/  本宮幸久(もとみや・ゆきひさ)     :葬儀屋さん。霊感が強く色々見えすぎる人。 http://kataribe.com/HA/06/C/0262/  佐上氷我利(さかみひがり)     :雑貨屋さんの店長代理、背中にでっかい本を背負ってる人。 http://kataribe.com/HA/06/C/0497/  新崎智也(しんざき・ともや)     :異能耳を持ち、酒に滅法強い大学4回生。 http://kataribe.com/HA/06/C/0378/  桜木達大(さくらぎ・たつひろ)     :対怪異・異能専門の交渉屋。通り名は猫回し。友人からは若旦那と     :呼ばれている。 http://kataribe.com/HA/06/C/0365/  遠野響(とおの・ひびき)     : http://kataribe.com/HA/06/C/0438/  氷川美琴(ひかわ・みこと)     :狐狗狸の霊に取り憑かれ、第三の目を持つ女子高生。彼氏あり。 http://kataribe.com/HA/06/C/0385/  桜居津海希(さくらい・つみき)     :桜木達大の弟子にして飛頭蛮、桜居の姫。 http://kataribe.com/HA/06/C/0298/  前野浩(まえの・ひろし)     :桜居津海希の元執事であり恋人。 http://kataribe.com/HA/06/C/0128/ 見つけてしまったモノ --------------------  きっかけは、ほんの些細な事だった。  少女     :「あ、これ……」  骨董屋で見つけた一本のペーパーナイフ。  それが、全ての始まり。  少女     :「これ、ください」  少女がそれを買ってからちょうど一週間後  話は、宵闇の街で始まる。 白翼と白眼 ----------  夜の街。  その闇より更に深き闇を見る男が、一人。  倉守     :「いや、すっかり遅くなってしまいましたね」  倉守     :「まあ、外界の光など、私には関係なく……ん?」  ざわり、と何かの気配を感じる。  しかし、それは決して嫌なものではなく。  倉守     :「……そこに、誰か?」  少女     :(すくっ、とそこに立っている)  倉守     :「(この気配は……)どうかなさいましたか、お嬢さん」  少女     :「お前は、何だ」  ざわり。  倉守     :(う……)  倉守     :「何だ、といわれましても、ただの按摩師ですが」  少女     :「嘘をつけ」  ざわり。  少女     :「この目にははっきりと映っている  少女     :「貴様の魔が!」  倉守     :「くっ……新手ですか」  倉守     :(懐に手を入れ)  少女     :「神の名の下に、魔を滅する!」  倉守     :「残念ですが、協会の意地にかけてそうはいきません!」  投げられる手裏剣。  それは、少女の体に吸い込まれていき。  SE     :ごぉぉ!  倉守     :(え?)  倉守     :(なぜ、俺の目に映る?)  白翼の少女  :(白き翼で、手裏剣を受け止め)  倉守     :(それに、あの少女……)  倉守     :(目が……ない)  SE     :シャァァン!  倉守     :「ガッ!?」  倉守     :(跳ね返ってきた手裏剣が、肩と腕に突き刺さり)  白翼の少女  :「魔は、滅する」  SE     :どすっ。  突き刺された小さなナニカ。  それは、盲人の力を奪い。  倉守     :「あ……ぐ……」(崩れ落ち)  白翼の少女  :「去ね」(くるりと背を向けると同時に、気配が消え)  後に残されたのは、地に伏した盲人が一人。  倉守     :「とにかく、『補完』……え?」  倉守     :「魔法が、使えない?」  血の染みは、その大きさを増し。  倉守     :「くそっ、誰かに……」  倉守     :(携帯電話を操作)  意識は、深き闇に飲まれ。  倉守     :「あと、少し……くっ」  倉守     :(意識を失い、倒れ)  後に残ったのは、静寂のみ。 闇に羽ばたく白翼 ----------------  さてその日、その夜。彼女、シスター・ベルナデッタことブリジッタ洗馬清 香は、部屋の蛍光灯を切らし、近場のスーパーマーケットまでちょっとした買 い物に出かけていた。  足を止めたのは人のい争うような物音が聞こえたからだ。音が聞こえたの は、通り過ぎるところだった公園の中から。そうして彼女は、迷わず進行方向 を変えて、公園の中に踏み入っていった。  彼女がこの凄惨な倉守雛傷害の現場に出くわし、事件と関わりを持つに至る までには、いくつかの偶然という道を通過する必要があった。  蛍光灯がその夜その時間に切れたことや、その公園の前の道を通ったこと、 また帰りの道行きに突然教会の同僚から携帯電話でついでのお使いを頼まれ、 思わぬ遠出をする羽目になったことなどである。それらの一つとして欠けてい ても彼女が事件に関わりを持つことは無かったろうし、また何か余分な出来事 があったとしても同様だったろう。後々になって振り返ってみると、これらの 出来事全てが正しく偶然と呼べるかどうかは疑問の残るところである。  それは、運命論者なら間違いなく、それも嬉々として「運命だ!」と叫ぶよ うな可能性の綱渡りの上に起こった邂逅だった。  ブリジッタ  :「天使さま……ッ?」  公園に足を踏み入れたところで彼女が見たのは、闇を裂いて羽ばたく白い翼 と、翼を背負い夜空に舞う美しい少女の姿(後に知り大慌てで謝罪することに なるのだが、不幸なことにも倉守氏については街灯の陰になっていたこともあっ て気が付かなかった)。天使はすれ違うようにブリジッタの頭上を越えて飛び 上がる。翼が街灯と月の光を遮り、暗黒に包まれた。  反射的に顔を上げたブリジッタの視界に、硝子細工のように静謐な顔が飛び 込んでくる。  ブリジッタ  :「――え?」  一瞬だけ。瞬き一つあったかすら知れない短い時間の間だけ、空を舞う少女 と視線が合った。濡れた黒檀のように艶やかな虹彩。相手の目が一瞬、驚いた ように、ひどく傷ついたように見開かれる。ブリジッタにはその瞳に、確かに 見覚えがあった。  なぜ彼女が、その事件に関わりあうことになったのか。  彼女が周囲から不運と呼ばれる運命律の偏りの持ち主であったからか、或い は彼女やかの少女の信ずる唯一絶対の神が、自らの信徒に救いの手を差し伸べ るべく確率変数にちょっとした手心を加えた結果だったのか。  かの難波花月嬢であれば『エピソード書く上での都合ゆうヤツや』とでもコ メントしたことだろう。特殊物理学的に解釈するなら多界構造が相互に干渉し 合った結果このような奇縁が導かれたなど説明することも出来よう。しかしな がら、彼女自身の見解は、いつもの通りただ単純な一言に尽きた。  曰く、『全て主の与え賜うた試練です』。  エィメン。 通りすがりの葬儀屋 ------------------  闇夜に喪服に黒髪姿の男が一人。  幸久     :「はあ、遅くなった」  仕事帰りの葬儀屋が一人。かつかつと黒い革靴を鳴らしながら歩いていると、 ふと道端に倒れている影を見つける。  幸久     :「……ん?あれは……」  よく見ると、それは。  幸久     :「人!?」  慌てて駆け寄り助け起こすと、それは何度か見知った顔だった。  ぐったりと力の抜けたその顔は……  幸久     :「倉守っ!!」  盲目で女たらしの按摩師。時たま会っては飲む仲間の一人だった。  幸久     :「倉守っ!しっかりしろっ!……くそ、怪我が……」  まず救急車を、次に応急手当ができる場所を。  思いついた場所はひとつ。  幸久     :「くそっ、何があったんだ!?」  肩の傷口をハンカチで縛り、しょい上げる。  向かう先は、あげは。  幸久     :(くそっ、怪我人と葬儀屋かよ、縁起でもねえっ)  足音が響く。  あげはへと続く道、近いはずの距離がなにより遠く感じた。 通りすがり ----------  氷我利    :「ふぅ、夜はまだ暑くないからいいな。」  いつものように、夜の散歩を楽しむ氷我利。  氷我利    :「もうすっかり夏だよなぁ……」  と、その視線がふとひと影を捉えた。  誰かが誰かを背負っているようだ。  氷我利    :「ん?何かあったのか?」  目を細め、視覚補助の魔道式を記述。  増幅された、目が見たものは。  氷我利    :「倉守と幸久さん!?なんであいつが担がれてるんだ。」  幸久さんが、倉守を背負って走っていくのを追いかける。  背負われている倉守の肩には応急手当のようにハンカチが結ばれている。  氷我利    :「何があった、倉守……」  日ごろの運動不足が恨めしい。鈍った足は気持ちとは裏腹に速度を上げて  くれない。  氷我利    :「とにかく、追いかけないと。」  治癒の力があるわけでもない。何も出来ないかもしれない。  だが、友達の怪我を見て何もしないわけにはいかない。  氷我利は、気合を入れて追いかけた。 喫茶「あげは」 --------------  喫茶店「あげは」。  吹利でも知る人ぞ知る、というよりは一部の人しか知らない名所である。  料理の旨さ、安さ、店員の態度の横柄さ、客のやさぐれ具合。どの点をとっ ても、この店に勝るところはそう多くはないだろう。  智也     :「あ、冷酒追加ね」  常連客・新崎智也の注文に対し、勝手にしろとばかりに無言で酒ビンを置く 店員・朱晃。  ここまでは、あげはではごくありふれた、普段どおりの風景であった。  数分後に店内に走る緊張を予測できた者は、皆無だったのである。  SE      :キィィ(ドアの開く音)  智也     :「ん?」  ドアが開き、智也の知った顔が姿を現す。  息を切らせながら店に駆け込んできたのは、あげはの常連であり、つい最近 新婚の身になった葬儀屋の本宮幸久だった。  幸久     :「はぁ……はぁ……(息を切らしながら)」  智也     :「やぁ、本宮の兄さん、今日はもう仕事引け……!」  知った顔ではあったが、雰囲気が明らかにいつもとは違っていた。  酒が入ってご機嫌状態の智也でもはっきりとわかった、ただならぬ雰囲気。  智也     :「ちょ、ちょっと、何かあったんスか」  幸久     :「はぁ……ワケは後で説明する!とにかく医者だ!怪我人         :がいる」  智也     :「怪我?……あ!」  ゆっくりと背から下ろされたのは、ここ最近あげはに通う姿をよく見るよう になった倉守の姿。ハンカチで縛られた肩と腕から赤い血がにじんでいるのが 見える。 (以下、順不明) 依頼人 ------  薄暗い照明。  淡い闇が、境界も曖昧に二人の男のシルエットを浮かび上がらせている。  吹利市内のとある高級BARの、さらにその奥にあるプライベートルーム。  会員、つまり正気を疑うような会費を支払う選ばれた顧客だけが使用できる 秘密の部屋である。  じわりと染むように浮かぶ調度品のシルエット一つひとつが調和しながら、 重みある存在感を主張している。  そこに呼び出された、そのことが事の面倒さを予感させる。  達大     :「つまり、天使憑きですか」  自分の言葉を脳裏のキーボードに入力するように、クリスタルグラス製のテー ブルの天板を指先で叩く。  あるいは、居心地悪さに微かなストレスを感じているのかもしれない。  なにしろ平社員街道まっしぐらな達大には、いかにも縁遠い場所だ。そこに いかにも面倒な話を持ってきそうな男と二人で居るのである。  ストレスも、溜まろうというものだ。  狐面の男   :「厳密には異なりますが──そのように言い換えた方が、         :インスタントな理解が得られるでしょうね」  やせた狐に似た顔の男が、友好的な笑みを浮かべ頷く。  一見して派手なところがないように見える。  しかし、スーツはおそらくイギリス製のオーダーメイド。右腕にまいた腕時 計もスイスの有名メーカーの一点ものだろう。  達大     :「(地味派手の典型だな。趣味は悪くないけど)」  達大の値踏み。  嫌いではない。むしろ好みと言ってもいい。  しかし男の笑顔のうさんくささが、それを厭味に感じさせる。  狐面の男   :「先ほどもお話した通り、さる方のたってのお願いでして         :ね。いかにしても平和的に解決いただきたい」  達大     :「ボクもそう願いたいところですが」  いったん言葉を切って、相手の顔を正面から見る。  達大     :「誰かれ構わず襲い掛かる、野良犬みたいな天使さまが相         :手ではなんともしかねます。ありていに言って、ボクの手         :には負いかねるかと」  狐面の男に負けず劣らず友好的な笑みで、できるだけ柔らかくお断り。  夏休みに入った火狐の世話に忙しく、自立を求めて達大の部屋を出た六華と の関係修復にも忙しい。かててくわえて問答無用の闘争本能むき出しの妖異が 相手だ。  しかも。  平和的解決が必須──つまり反撃はするなとまで言う。  割りに合わないにもほどがある。  達大     :「その方のコネクションを辿れば、ボクよりもよほど力の         :ある方をアサインできるでしょう? 確実さを考えれば、         :その方が賢明ですよ」  狐面の男   :「力尽くでの解決なら、何人か心当たりはありますが」  勿体つけるように言葉をいったん切って、グラスを持ち上げる。  狐面の男   :「飽くまで平和的──つまり非暴力の解決でないと依頼主         :の意向に逆らうことになります」  達大     :「そうは言っても手に余るの事実です。非暴力にこだわっ         :て取り逃がすのも本意ではないのでは?」  達大の言葉に、狐面の男は笑みを浮かべた。  相手の知らない情報を握る優位の笑み。そして、不運な相手に対してそれを 免れた自分の優位を改めて確認する笑み。  それが、かちんと達大の気に障る。  狐面の男   :「易占の結果が、猫回しをご指名でしてね。あのお方はた         :いそう占いを頼りになさっております」  達大     :「占い──と来ましたか」  狐面の男   :「えぇ、占いです」  互いに笑みを浮かべ、グラスを片手に頷き合う。  達大     :「こんな業界に片足入れて言うのもおかしな話ですが──         :よくもまぁ、そんな非論理的な意志決定に」  狐面の男   :「私は所詮、代理人にすぎませんから」  達大が呆れた風に肩をすくめれば、それをあえて真似るように狐面の男も肩 をすくめて応えてみせる。  達大     :「(同じタイプとやりあうのが、これほど腹立つとはな)」  一瞬、頭に血が上りかけ、グラスを干してそれを沈める。  達大     :「危険手当は通常よりもかなり多く見積もる形になるかと         :思います」  ビジネス、ビジネスとおまじないのように、テーブルの下で掌に書く。  達大     :「それから平和的に、という意向には極力従いますが、あ         :まりに危険と判断したばあ──?」  SE      :からん  音がしたのはそのとき。  氷の崩れる音は意外と大きかった。 招かれざる客 ------------  響      :「――世の中、論理なんかでまわっちゃいないのにさ。無         :理やり論理に固めようとして。くだらない」  いつからそこにいたのか。  プライベートルームのはずの部屋の一番奥に座る女ひとり。最初から招かれ てそこに居るように、当然のようなふてぶてしさで悪態をつく。  狐面の男   :「──ご同僚ですか?」  狐面の男が問う。  余裕の笑みを崩さず、足も組んだままだ。  達大     :「さて──」         :(視線を女のほうに向ける)  響      :「残念ながらご同僚じゃないことにしたほうが面白そうな         :んでそうしておく」  あまりにも空間に似つかわしくないラフな服装。人に見られることを計算し ていないぎりぎりの線は、部屋の空気から明らかに浮いている。  よれよれのTシャツにジーンズ、サンダルで高級レストランに入り込んだよ うな場違いさがあるが──しかし、それでも、彼女がそこにいることを否定さ せない。堂々して退くところのない姿勢が、否定を許さない。  達大     :「そういうことのようです。職場にこんな美人が居たら、         :仕事の進みもはかどりそうなものですけれど」  狐面の男   :「であれば、ご遠慮いただければ助かります。わざわざプ         :ライベートルームで話をしているということの意味は、ご         :理解いただけますよね?」  にこやかに、男は言う。  お願い、の体裁を取った脅し。  言葉面だけ追えば迫力はないが、絶妙なバランスの笑顔と剣呑な雰囲気が伴 えば脅し意外に受け取りようがなくなる。  響      :「わざわざプライベートルームで話をしているという意味         :は『盗聴してください』だろ、えー?」  にやにやと浮かぶ笑みは……まるで狐のそれだ。  口にくわえたシガリロは、なにもせずとも火を灯す。まるで手品のように。  狐面の男   :「発火能力者(ファイアスターター)は間に合ってまして」  狐面の男の指がクリスタルグラスの表面を軽く叩けば、女のくわえたシガリ ロは一瞬で灰になり崩れ落ちる。  巧みに制御された火──光を伴わぬ無明の焔の仕業。  響      :「ご同輩かい。どうりで臭いとおもったさ……ふん。ご自         :分でやればいいのに。ああ、失敗した駒を焼くことしかで         :きないのかもしれないねぇ」  ころころと鈴のような不快な笑い。明らかに計算された声。  嫌がらせにもほどがある──普通なら相手はそう言って席を立つ。  しかし。  狐面の男   :「私は代理人に過ぎませんから」  達大     :「(まったく──可愛げの欠片もない)」  ふっ、と力の抜けた笑み一つ。  たったそれだけで狐面の男は鈴の声を受け止める。毛一筋ほども余裕を崩さ ない男の態度は、確かに可愛げがない。  響      :「代理人、ねぇ。……そこの若旦那さん。降りたほうがい         :いよぉ?」  達大     :「生憎と宮仕えはつらい立場でして」  おどけたように笑顔を浮かべ、達大は立ち上がった。  そろそろ引き際だ。これでは交渉にならない。  達大     :「ボクもできることならお断りしたいんですけどね。姪っ         :子が夏休みなので」  響      :「あーあーあー。そりゃーいけないねぇ。大丈夫大丈夫。         :三日も休暇をとってれば依頼がとりさげになるだろーし」  達大     :「依頼取り下げと同時にボクの首が飛びます」  響      :「じゃあとんじまえそんなもん」  達大     :「おまんまの食い上げになっちゃいますよ」  豊かな胸を張って笑顔で答える女の言葉を苦笑で受け止め、達大はお手上げ のジェスチャー。  実際、比喩表現の『首が飛ぶ』ではすまない可能性がある。  さっきの手並みで灼かれれば苦しみを味わう間も証拠を残す余裕もなく、こ の世からバイバイできること請け合いだ。  響      :「しらない。あたしゃこの臭い男が気に食わなくなった。         :ついでに言えば妖は嫌いだ。だから消し炭にする」         :「Are you right?」  狐面の男   :「それは困りますね」  そこでようやく男は立ち上がった。  狐面の男   :「早々に退散いたしましょう。桜木さん、契約書と約款の         :詰めはまた後ほど」  気障なくらい鮮やかな仕草で、芝居がかった一礼。  悠々と、女に背を向け、達大を擦れ違い部屋を出て行く。  響      :「さてと、あたしゃお先に動かさせてもらうかね。妖の次         :はあんたさね、一尾狐」  狐面の男   :「はっはっは。生憎と私は──いや、いけないいけない。         :長話は怪我の元でした」  一秒か二秒だけ振り返り、言いかけてまた背を向ける。  SE      :ぱたん  ドアの閉じる音。  響      :「……とっとと雲隠れすることをお勧めするよ若旦那。         :どっちにしても消し炭になりたくなきゃね?」  達大     :「──ふぅ」  見送って大きなため息を一つ。  そして向き直って困惑を滲ませた笑顔。  達大     :「響さん、あんまり脅かしたり場を引っ掻き回したりしな         :いでください」  響      :「――ふん。気に食わない気に食わない気に食わない。あ         :たしの知らないところで化け物がうごいてるのが気に食わ         :ない」  達大     :「こう見えて、ボク、繊細な性質なんです。もうストレス         :で胃が空くかと思いました」  響      :「あん? あたしゃ本気なんだけど」  貼り付けた笑みをはがして生来のふてぶてしさを前面に押し出した笑顔。そ れがアタリマエのように、間髪入れず達大に返す。  おそらく、本当に本音で本気なのだろう。  狐面の男も厄介だが、響も別の意味で厄介で──しかも剣呑だ。  達大     :「本気ならなお性質が悪い」  肩をすくめ、また苦笑。  響      :「妖怪は生まれのせいで嫌いだ。狐はもっと嫌いだ――神         :頼みよりもうちょっと効果のあるものをやろうか」  達大     :「遠慮しときます。高くつきそうですから」  響      :「ちぇ。恋人との間にごたごたおこしてやろうとおもった         :のに」  苦笑してかわす。  アヤカシがアヤカシを嫌う、その矛盾。滑稽さより哀しさが付きまとう。  生来、争いごとを嫌う達大にすればそう思う。思うが、言わない──いや、 言えない。  響      :「……なにさその物いいたげな顔。あたしゃ巫女だよ?          :これでも」  口は災いの門という。  うかつなことを言えば──想像もしたくない。  達大     :「いいえ、なにも」  にっこりと受け止めて、さらに言葉を継ぐ。  達大     :「ボクはこれで失礼します。姪に留守番を任せきりにして         :ますので。では」  腰低く頭を下げて、達大もまた部屋を出た。  残るは響ひとり。  響      :「ふん。お幸せなご家庭ってやつか。……極めて汚も滞無         :れば穢とはあらじ内外の玉垣清淨と申す……戯言かな」  ひとり残った部屋で呟く。  呟きに応えるように細荒れた空気が鎮まる。  響      :「祝詞の一つで沈んでくれる相手ならいいんだけどね。         :いってみなきゃわかんない、かぁ」  しん、と相槌もなく。  静かなその部屋に、くつろぐものはもう居ない。  ただ一人、居残った響だけが立ち尽くし天を仰ぐ。 サトミマンション、桜木達大宅 ----------------------------  特例事項──  吹利近辺の開発の進行に伴い、土着の霊、神、移民妖怪の子孫ら総称して人 外との軋轢は増加の傾向にある。従来の退魔制度では対処しきれない事例も少 なくはない。そこで吹利では司法の下に人外問題専門の調停人、仲裁人を広く 集め、また養成する方針できた。が、現状人材不足なのは明白である。これに 対処すべく、民間のご意見番、交渉役と言われる者達から実績のある者を特例 的に採用する案を近日可決する方針。  正直、多忙で判断力が落ちていた。昨晩のBARの一件の後、達大が疲れ果て てベッドにそのまま倒れ伏す直前にサイドテーブルに放り出した書面。つまり、 あの狐面の男に渡された資料が弟子である少女の目に止まったらどういう展開 になるか、普段なら思い至らぬ達大ではない。  少女はここ最近明らかに現場に出たがっていた。身につけた力量を試してみ たいと考えるのは当然であるが、人外絡みの交渉をそうほいほい高校生に任せ られるわけもない。それが自身もまた人外であり、それなりに優秀な弟子であ る彼女であってもだ。  今日は定例の勉強会の日であったが、件の書面を見てしまった彼女はまった く身が入っておらず、しかたなく休憩時間をとっていた。  もうかれこれ5分ほど押し黙り、立ったまま書斎のデスクを挟んで向き合う 二人。こんな時に限って話題を逸らしてくれそうな火狐が遊びに出てしまって いるのが悔やまれた。  つみき    :「先生、ですから今晩の件私に任せてください」  達大     :「段々なりふり構わなくなってきましたね。先程も言いま         :したが身の程をわきまえなさい」  つみき    :「どうして無理と決めつけるんですか!」  達大     :「僕は、これを社の仕事として依頼され、一度断ったんで         :す。もう介入の余地は如何ほどもない」  少女は達大にこの日三度目のトライをかけた。最初二度は婉曲的に達大を誘 導しようとしたが当然それにかかる師でもなく、もはや駄目元のごり押しでし かない。達大もいい加減呆れ、溜息すら出た。まさかここまでこだわるとは思 わなかった。  つみき    :「だけど、私を代理人として立てることは可能ですよね。         :先生が身の保証さえしてくれればクライアントとの交渉          :だって私──」  達大     :「自惚れちゃいけません。確かにこの業界能力と経験さえ         :あれば年齢は問わない面がある。だが今のあなたに何があ         :るって言うんですか?」  達大にはやや挑発的な物言いをしてでも少女を抑え込む必要があった。こう でもしないとまるで効かないじゃじゃ馬なのだ。ただでさえ多忙であるのにこ れ以上心配事の種を増やすわけにはいかない。  少女は肩を怒らせて両の拳を握りしめているが、微かに口を動かしながら本 を読むかのように視線を虚空に走らせている。まだ、諦めていない。次の手を 読み込んでいる。  つみき    :「誰もが、最初は──」  達大     :「学生の研修でしたら、もっと他に適切な事件がいくらで         :もありますよ。功を焦ると取り返しのつかないことになる。         :大体つみきさんはまだ高校生だということ、ゆめゆめ忘れ         :ないように」  発言を遮り根気強く落ち着いた口調で畳みかける。土台無理な相談なのだ。 なのだが、少女は引かなかった。この辺り、未だにわがままを押し通す癖が抜 けきれない。  つみき    :「高校生なのはそれ程問題になりません。少ないですけど         :同年代でプロとして国に雇われている例もあると聞きます。         :民間なら尚更。保護者がいて依頼人の許可さえあれば私で         :も交渉にあたることは可能です」  達大     :「保護者、ね。僕は行きませんよ? まず依頼主が、こう         :言っては何ですがあまりいい噂はありません。そして先方         :の立てた代理人もカタギという感じではなかった。交渉の         :対象──天使憑きも普通なら警察沙汰ですよ、まず」  つみき    :「そんな事例は他にもたくさん──」  達大     :「以上を踏まえて! 僕は自分が当該事件を担当するのも         :危険と判断したんです。そこにあなたのような人を送る道         :理がどこにありますか。確かに先方は交渉役を欲しがって         :いたが、企業に属していないつみきさんが介入することを         :保証するとしたら僕にどれだけの責任が発生するか考えて         :下さい」  達大は後半意図的に語気を強めた。少女は唇を噛む。  達大     :「だいたい、証言を見るにこれはもう警察沙汰じゃなけれ         :ば退魔師の仕事です。既に知人が動くようでもある。僕の         :知るところではありませんが。いずれにしろこの件は僕達         :の出番じゃないですよ、先方の望みがどうであろうとね」  つみき    :「……退ければ……排除すればいいってものじゃない」  少女の瞳に光が宿り、達大が一瞬口をつぐむ。  つみき    :「じゃあこうしましょう。助手として退魔士、前野浩を付         :けます。いざとなったら退魔士としての彼に委ねる」  達大     :「現段階の先方の依頼は交渉だ。退魔じゃない。第一、あ         :なたは、前野さんまで巻き込んでどうする気です。それは         :もう甘えだという事を自覚した方がいいですね」  つみき    :「──っ。とにかく先方と掛け合ってみます。調停は原則         :第三者のいない場所で行われることになっていますが、危         :険度が高いと調停人が判断した人外相手に退魔師やそれに         :準じる第三者を連れることは認められています。保護者の         :役目も彼に任せます」  達大     :「前野さんがそれに応じるはず無いでしょう!」  つみき    :「説得して見せます。次に私の身元保証ですが猫回し桜木         :達大の弟子の名は使わせてください。でも、これはあくま         :で私の独断であるという前提で先方と直接交渉にあたりま         :す。これなら責任の全ては私とその将来にかかります」  達大     :「自分が何を言っているか理解してますか。そしてそれを         :僕が見過ごすとでも思っているんですか」  つみき    :「元々、初手としての交渉のようですし、失敗した際の安         :全弁も既に用意されてるのでしょう? それならばこの程         :度の詭弁でも通して貰えるはずだわ。先方からしたら成功         :すれば御の字ですもの」  達大     :「あちらが認めても僕がそんな行為は認めない」  つみき    :「心配してくれてありがとう先生。でも、応援してて下さ         :い。私、やり遂げてみせますから」  わずかに、ほんのわずかにではあったが、若者らしい前向きさの籠もった眼 差しに達大は気圧されてしまったのかもしれない。結果、次の言葉を紡ぐ前に つみきが自室から出て行く隙を作ってしまった。  達大     :「ちょっと待ってください。まだ話は──」  力強く玄関の扉を閉める音が響く。ご丁寧に先方の連絡先を記した書面もな くなっている。  達大     :「まったく──生き急いでるというかなんというか。あれ         :じゃあ火狐と変わらないじゃないか」  軽い目眩を覚え、崩れるように椅子に身を預ける。  行きすぎた若さというのはそこを通り過ぎたばかりの者にとって少々毒だ、 と達大は思った。 天使が巣くうビル ----------------  薄い緑の柱が林立する地下駐車場にはもう車はほとんど停まっていない。  壁際にとめられた一台のバンの中には黒い服の少女と男が一人ずつ。一見親 子ほどにも歳が離れているかのような二人だが、黒服の男はまだ青年といって いい年齢であるし、少女はもう高校生になる。  車中の時計が21:30を示し、少女、つみきは天井右側のランプを点して手帳 を広げる。  つみき    :「交渉対象は現在クライアントの所持するビルの屋上に潜         :伏……というよりこれは占拠しています。私の仕事は非暴         :力による事態の終結。及び対象の任意による同行。22時、         :ビルの警備員を除く一般職員が全て帰宅した後に交渉開始。         :現場にはクライアントの立てた代理人も同伴します」  つみきはここで手帳から目を離し、視線を隣に座っている男に向けた。  つみき    :「それと、護衛役兼保護者の前野浩もね」  前野     :「まったく……」  つみき    :「ごめんなさい。でもチャンスなの。それに、交渉にあた         :るのは私が最後。この段階を逃したらあとは退魔機関の仕         :事になるし、そうなったら死人も出るかもしれない」  前野     :「……」  男はそういった潰し合いをもう長いこと見てきたゆえ、つみきのそれは狭窄 的なエゴに過ぎないと感じる。そんなことはこの件以外にもありふれているし、 一方で交渉の結果死人が出ることだったある。つみきの思い描く結果は10の不 幸な結果の上にある1でしかない。こんなにも自分を賭け、周りに迷惑もか けて彼女が出張ったところでそれは変わりはしないのだ。  こんなことになるのなら、高校生の間はこっちの世界からなるべく遠ざけて おくべきだったな──つい、そんな風に考えてしまう。  つみき    :「それじゃあ、行きますよ。前野」  執事を呼びつけるかの口調で車から降りる。つみきは男のことを三種類の呼 び方で呼び分けているが、苗字を呼び捨てるときは自分が主となり仕事をする 時。こうなるとお互いに自然と背筋が伸びる。  駐車場の鉄扉を押し開け、エレベータホールに出るとオフィスビルに場違い な狐面の男がひょろりと立っていた。  狐面の男   :「先ほどはお電話でどうも。あなたが猫回し桜木達大氏の         :お弟子さんですか。これは、また随分と」  つみき    :「よろしくお願いします。本日の交渉を担当することにな         :りました人外問題専門調停人見習い、桜居津海希です」  狐面の男の冷笑的な反応を受け流すように笑顔で切り返してみせる。つみき は不思議と落ち着いている自分に驚き、傍らにいる前野に感謝した。 そして── ----------  弧面の男   :「この扉の向こう、屋上に当該人外はいます。準備はよろ         :しいですか、お嬢さん」  つみき    :「桜居で結構です。まずはどの程度のコミュニケーション         :が可能かのチェックの為に近付くので、あなたは前野の背         :後で待機していてください。その後、安全と言える距離を         :保ちつつお互いに納得の行く落としどころを模索する段階         :に入ります」  一度大きく深呼吸しノブに手をかけるつみき。  前野がその肩に手を置き、無理はしないようにと小さく声をかける。一度、 ゆっくりと瞼を閉じ大丈夫と唇を動かす。そしてそれを返事として扉を開け 放った。途端に外からの突風が舞い込む。  屋上はベンチと貯水タンク、そして小さな稲荷の社が一つ。その社の鳥居の 上に少女が、天使が腰掛けていた。  白と黒の斑に塗り分けられたような猛禽の翼を強風にはためかせ、無表情に 空を見上げている。真夏とはいえ少々肌寒そうな白いワンピースは所々すり切 れ、髪は風にあおられるままになり、骨ばんだ手には所々血が滲んでいる。  寄生主の体を大切にするタイプではない。早期の解決が求められる。寄生体 の分類表を頭に思い浮かべ、彼女はすぐさまそう判断した。  つみき    :「こんばんは」  天使は、つみきの存在を認識するやいなや獣のような表情と声を上げて飛び かかる。刹那、踊るように半身を翻しターンしてこれを回避するつみき。咄嗟 に前に出ようとした前野を手の平で制する。  つみき    :「いい夜ね。風が強くて気持ちいい。月を見てたの?」  返ってくるは獣性のうなり声。  つみき    :「あなたの欲しいものはなんですか? 出来る限りのこと         :はしようと思って今日は話し合いに来ました」  憑物であれば獣性であれ母体の脳を通して言葉が通じる例は多い。勝算がな いわけではない。  つみき    :「声帯が使えないのであれば、これ、文字盤です。どんな         :手段でもいい。あなたが誰なのか何がしたいのかを教えて         :欲しいんです」  天使が地に降り、ゆっくりとつみきに歩み寄る。  つみきは両腕を下げ、それでいてすぐにバックステップが可能な姿勢で相手 の出方を探る。  天使がつみきと五歩の間合いに入って立ち止まる。  狐面の男   :「やはり駄目か」  前野     :「……?」  無造作に腰を捻り、目一杯腕を背中に回す。  そして、突き出した。信じられないほど腕が伸びる。否、その手には槍状の 武器が握られていた。間合いを無視し、つみきのいた空間を貫く。つみきは咄 嗟に大きく後ろに飛び、この突きもまたかわす。  が、その一撃の直後天使は飛び込んできた。枯れ枝のような腕で宙を舞って いるつみきを薙ぐ。  咄嗟にガードにまわした左腕の上腕骨が折れる音を聞きながら、つみきは屋 上のフェンスに叩き付けられる。金網の乾いた音がすぐさま風の音に吹き消さ れる。  前野がつみきと天使の間に走り込み、対峙する。サングラスの下でその眼球 がピンク色に発光する。  前野     :「……交渉は、決裂と言うことでよろしいか!」  狐面の男   :「調停人のお嬢さんはまだ続けるつもりみたいですが?」  前野の頭上に、つみきの頭部だけが浮いている。飛頭蛮、つみきの生来の種。 首だけで空を舞い人肉を屠るモノ──  つみき    :「……止まれ! それより近付くば我が結界の内ぞ!」  天使がぴたりと歩みを止める。  つみき    :「やっぱり、言葉は通じてるんじゃない。その上でこの反         :応……人の血を求める類? 今のままだと早晩あなたは退         :魔士に排除される可能性が高いです。こちらとしてもあな         :たの望むモノを用意する準備は──」  天使     :「カカカッ!」  天使は目を大きく見開き、歓喜の表情で槍を投げつけた。  咄嗟に前野が目の細かいグリッド状の光線を展開し壁を作るがその隙間を 縫って槍はつみきの額を貫通し、消滅する。  落下するつみきの頭部。  咄嗟に受け止める前野。  その隙に舞い上がる天使。  狐面の男   :「いかん、逃げられます。排除してください!」  前野     :「クソッ!」  つみきの頭部を見た限り大きな外傷はないが、安心出来る状態ではない。あ の槍の狙い、皆目検討が付かない。死、という言葉が頭に浮かび次の一手が致 命的に遅れる。退魔士前野浩としての責務を怠ってしまう。  前野が捕縛のための策を打った時にはもう、天使は彼の能力の及ぶ領域から 消え去っていた。  狐面の男   :「ええ、やはり駄目でした。逃げられました。はい。ここ         :から離れたとなると、次の動きは──」  早くも携帯を取りだし淡々と話し続ける男を無視し、前野はつみきの頭部を 体に繋げる。彼女は頻繁に頭部を落っことすのでこの作業はもうすっかり慣れっ こであるが、くっつきはしたものの目を覚ます気配はない。全身から汗が引い ていくような感触。  脈を取る、呼吸の確認をする、怪我の状態をスキャンする。骨折箇所が複数 あるものの生存の確認はとれた。とりあえず、生きてはいる。しかしまるで地 に足がついた感じがしない。もう一度詳細に全身をスキャンしようとするが、 集中力が、持続しない。  狐面の男   :「飛頭蛮、桜居の姫と聞いたのでもう少しやるかと思った         :のですが、ええ、まあまだ想定の内です。既に何人か動か         :してはいます。奪われたものですか、見当が付きませんね。         :やり取りの中では首を飛ばせる程度にしか見えませんでし         :たが」  狐面の男は小声で話しているが、過敏になった感覚で全てが前野の耳に入っ てくる。唐突にいらだちがわき起こる。  前野     :「おい、何か知っているな。何処まで知っていた? 彼女         :がどうなったのかわかってるのなら言え」  歩み寄り狐面の男の胸ぐらを掴む。男は携帯を切り、腕を払いのける。  狐面の男   :「何を言っているんですか。そちらのお嬢さんは自分の責         :任でこの件にかかわり勝手に失敗したんですよ。あなた、         :素人じゃないのならそれがどういう事かわかるでしょう」  前野     :「口上はいい」  狐面の男   :「物騒な人だ。ほら、お嬢さんがお目覚めですよ」  前野が振り返るとつみきは目を開き、苦痛に顔を歪めていた。  前野     :「津海希ちゃん!」  狐面の男   :「それでは、失礼します」  前野が抱き起こすと、つみきは動く方の右手で喉を掻きむしり始めた。困惑 の表情がすぐさま絶望に染まる。喉から空気の漏れるような微かな音のみが出 ていく。上半身を自力で起こし、前屈みになり、血が出るほど首筋を掻きむし る。そうして、次にコンクリートの床を叩き始める。  前野は力尽くでそれを制したが、何が起きているの理解出来なかった。  前野     :「津海希……ちゃん?」  つみきは声を、話す力を失っていた。 教会堂の神父 ------------  神父     :「休暇ですか?」  ベルナデッタの突然の申し入れに、神父は驚いたように目を見開いた。  カソリック教徒のイメージする理想の神父象を体現したような、柔和な顔を した恰幅の良い初老の紳士である。  カソリック吹利本町教会。早朝のミサが終わり、人のいなくなったゴシック 建築の教会堂で、ベルナデッタは彼女の上司に当たる神父と向かい合っていた。  ベルナデッタ :「はい、突然申し訳ございません」  神父     :「いえ、いいんですが。どうして唐突に?」  ベルナデッタ :「志摩沙耶子ちゃんのことで」  神父     :「……ああ、日曜のミサによく来ていらした子ですね」  数瞬目を瞑って考えてから、神父はため息混じりに言葉を吐き出した。その 声色には、隠せないほどの苦味を滲ませている。  『来ていた』と、過去形で言った。  彼女が教会に来なかったのはつい先日の日曜日。それだけなら『何か用事が あったのだろう』で済ませる程度のことだ。そこをわざわざ、まるでもう二度 と来ることがないかのように過去形で言ったのには理由がある。  神父     :「たしか、先日から家出をなさっていて行方不明だとか」  ベルナデッタ :「はい」  詳しいことは知れないが、同じく教会に出入りしている彼女の級友の話して いたことだ。その信憑性はかなりのものだった。  神父     :「彼女がどうかしましたか?」  ベルナデッタ :「……昨日の夜、公園で見かけたんです。なにか妙なこと         :に巻き込まれているようで、放ってはおけません」  神父     :「なるほど」  そういえばと神父は思い出す。少女沙耶子は、と言ってもこれは沙耶子に限っ たことではなく本町教会に出入りする信徒のほとんどに言えることだが、奇人 変人の多いこの教会の中で、珍しくも温厚で優しげな雰囲気をもつベルナデッ タに懐いている様子があった。  神父     :「もしかして、なにか相談でもされていましたか?」  ベルナデッタ :「……はい」  軽く唇を噛んで、ベルナデッタは長いまつげを伏せる。その口元には、苦い 悔恨の表情が浮かんでいた。  ベルナデッタ :「懺悔をしたいと言われました」  神父     :「懺悔を?」  ベルナデッタ :「はい、けれど私はただの修道女ですから、ゆるしの秘蹟         :を執り行うことはできません。だから、神父さまにお願い         :しようと言って、その場を離れて呼びに伺いました」  神父     :「ああ……」  そのことには彼自身も憶えがあった。ベルナデッタに呼ばれ、懺悔室に趣い たはいいものの、ベルナデッタが呼びに来ている間に少女は居なくなっており、 結局懺悔を聞くことは無かったのだ。  神父     :「家出の一日前、あれは沙耶子さんだったんですか」  ベルナデッタ :「はい。沙耶子ちゃん、私が断った時ひどく傷ついた顔を         :していて。思い返せばあの時、私が話だけでも聞いていれ         :ば……」  膝に置いた手を、指先が白くなるほど強く握り締める。  神父     :「わかりました。気の済むまで行ってらっしゃい」  ベルナデッタ :「神父さま! ありがとうございます」  神父     :「いえ、迷える子羊を正しい道に導くのも我々の大切な仕         :事です」  ベルナデッタ :「はい!」  それに、と神父は心の中で付け加える。  彼自身も祓魔を司る吹利本町教会の神父、ベルナデッタの言う『妙なこと』 には興味もあった。まだ何の確証も無い以上、自身で動くわけには行かないが、 ベルナデッタが自らの意思で調べてくれるのならこれほどありがたいことは無 い。  ベルナデッタ:「それでは。シスター・ベルナデッタ、行ってまいります!」  言うが早いか立ち上がり、スカートの裾を乱しながら走り出す。神父はその 様子を咎めることもせず、にこやかに見送ってから静かに十字を切った。  神父     :「天にまします我らが主よ、どうか彼女らをお守りくださ         :い……」  エィメン。 屋敷の前で ----------  こういった事件には人より耐性があるとは言え、ベルナデッタもただのシス ターで、探偵ではない。人探しというものに挑戦するのはこれが初めてで、従っ て手をつけることといえばまず沙耶子の家を訊ねるくらいしか思いつかなかっ た。  少女と同級の信徒から聞き出した住所にあった家は、存外に巨大な門構えを した古い屋敷だった。表札を見て、僅かに首をかしげる。最高級の桐で拵えら れたそれに、書かれている文字は『岩倉』。  住所を間違えただろうか? そう思い、手にしたメモを確認しなおす。確か にその家であるはずだった。  狐面の男   :「どうかなさいました、シスター」  ベルナデッタ :「ひゃッ!」  突然に後ろから声をかけられ、ベルナデッタは思わず飛び上がった。  狐面の男   :「?」  ベルナデッタ :「あ、ああ。ごめんなさい、私ったらはしたない」  狐面の男   :「この家になにか用ですかね?」  ベルナデッタ :「あ、はい。こちら、志摩さんのお宅ではないんですか?」  狐面の男   :「ははあ」  その狐のような細面の青年は、得心がいったというように深く頷く。  狐面の男   :「沙耶子お嬢さんは母方の姓を名乗っておられましたから         :ね。大丈夫、こちら志摩沙耶子さんのお宅で合ってますよ。         :失礼ですが、シスター・ベルナデッタ?」  ベルナデッタ :「え、はい。そうですけど? どうして……」  狐面の男   :「こちらの家の主人がお待ちです、どうぞお上がりくださ         :い」  疑問を唱える間も無く、狐面の男は扉を開き中に進んでいく。  果たして付いて行ってよいものかとベルナデッタが躊躇していると、不意に 男は立ち止まり、振り返って言う。  狐面の男   :「お嬢さんのことについてお話があるのではないのですか?」  ベルナデッタ :「どうしてそれを?」  狐面の男   :「さあ、そこまでは? 私はこの館におわすお方から、あ         :なたを連れてくるように言われただけですから」  にこやかな微笑を顔に貼り付けて、狐面の男は伺う。  狐面の男   :「それで、付いて来ますか? やめておきますか?」  そう言われては、ベルナデッタも引き返すわけにはいかない。意を決して、 玄関の門を潜りぬけた。  狐面の男   :「結構です、それではこちらに」 蛇の穴 ------  曲がりくねった縁の廊下と、数枚の戸襖を経て通されたその部屋は、家の外 観からは思いもつかないような不釣合いな洋間だった。  部屋の中央、豪奢な波斯絨毯に乗せて置かれたソファーの上で、ゆったりと 寛いでいた頑強な体格の紳士が一人。男に連れられ部屋に入ったベルナデッタ を見て、颯爽と立ち上がる。  隆作     :「初めまして、シスター・ベルナデッタ。私が沙耶子の父、         :岩倉隆作だ」  ベルナデッタ :「初めまして、岩倉さん。一体これはどういうことですか?」  開口一番、ベルナデッタはこの部屋にたどり着くまでずっと引っかかってい た疑問を口にした。  少女の父と名乗った紳士は、ふと口元を愉快そうに歪めて、くつくつと喉の 奥で笑う。  隆作     :「どういうこととは? さて、質問の意図を図りかねるな。         :もっと明確に言ってもらいたいものだ」  ベルナデッタ :「とぼけないで下さい! どうして、私がここに来ると知っ         :ていたのですか? そして、どうして私をここに通しまし         :たか! もしかして、あなた方は沙耶子ちゃんの失踪に……」  隆作     :「シスター。あなたが妄想逞しくするのは構わないが、そ         :れよりも先にこちらの話も聞いてくれんかな?」  やんわりと。そういった態度で隆作はベルナデッタの詰問を遮る。ハッと赤 くなって、ベルナデッタは小さく咳払いをした。  ベルナデッタ :「し、失礼しました。それで、どうして私がここに来ると?」  隆作     :「私はそれを知っていた、その事実だけでは足りんかね」  ベルナデッタ :「当然です!」  からかうような隆作の言葉に、ベルナデッタの語気が一瞬荒くなる。  隆作     :「しかし、それ以外に言いようが無い。私はそれを知るこ         :とが出来た。無論、尋常の手段ではないがね。あなたも吹         :利本町教会のシスターならご存知だろう。この世には科学         :的な法則では割り切れない現象も確実に存在するのだと」  ベルナデッタ :「――ッ!? どうしてそのことを!」  隆作     :「我が家も代々占事を司る家系でな、そういった裏の事情         :には聡いのだよ」  自慢するでもなく、さりとて負い目に感じているような様子も無く、さらり と自然に隆作は言った。  隆作     :「それで、あなたが出てきたということは、娘の失踪には         :オカルトの関与した疑いがあるということかね?」  ベルナデッタ :「……はい、それでよろしければ、彼女の家出する直前の         :様子についてお伺いしたいのですが」  隆作     :「あれの家出についてのことか」  あれ、とまるで物のように言った。  一瞬、その口調に微かな軽侮の色が混じったような気がして、ベルナデッタ は思わず隆作の目を見返す。だが、遠くを見つめるように細められたその瞳か らは何も伺えない。気のせいだったろうか? ベルナデッタが考え込もうとす る前に、隆作の言葉が続けられる。  隆作     :「身内の恥を晒すようで恥ずかしいことだが、娘には酷く         :嫌われていてね。先日も、仕事のことについて責められた         :ばかりだった」  ベルナデッタ :「喧嘩ですか」  隆作     :「ああ。妻は娘が六つになる前に死んでしまってね、世話         :は乳母に任せきりだった。私も仕事にかかりきりで、ろく         :に構ってやることも出来なかったから。恨まれていても仕         :方ないとは思っている」  ベルナデッタ :「す、すみません。個人的なことを話させてしまって」  隆作     :「構わんよ。少しは参考になったかね?」  ベルナデッタ :「はい、ありがとうございました」  隆作     :「あんな娘でも私の子供だ、可愛くないはずがない。なに         :かできることがあればいつでも言ってくれたまえ。協力は         :惜しまん」 蠢く策謀 --------  ベルナデッタの去った後。  隆介は鬱屈した笑いの衝動を堪えるようにワインを口に含み、その太い口元 を吊り上げる。  隆作     :「吹利本町教会か。ヴァチカンの精鋭揃いだと聞いていた         :が、あの様子では言うほどのことも無さそうだな。万が一         :の安全弁程度にはなってもらいたいものだが……」  狐面の男   :「何故わざわざお会いに?」  隆作     :「あの手合いにはそれが一番効く」  皮肉気に口元を吊り上げる男の目には、先ほどベルナデッタに語った時に浮 かんでいた、娘を思いやる親の痛々しい様子は欠片もない。  隆作     :「猫廻しにも断られた今、駒は多いに越したことはないか         :らな。放置すれば最悪、野良の能力者に狩られたというこ         :とにもなりかねん」  瞳に暗い炎を宿して、男は低く呟く。  隆作     :「あれに死んでもらうわけにはいかんのだ。少なくとも、         :奪われたものを返してもらうまではな」  ガシャンとガラスの割れる音。  男は癇癪を起こしたようにグラスをテーブルにに叩きつけた。語気からは呪 詛のような低い怒りの色がもれている。こぼれ落ちたワインはテーブルの足を 伝って、豪奢な波斯絨毯を容赦なく濡らしていく。  その様子を背後から見つめる狐面の男の酷く冷めた視線には、ついに気付く ことは無かった。 月下の夜道にて --------------  人気のない夜道を女性が一人で歩いている。  暦の上では夏至を過ぎれば、日没の時間が少しずつ早くなっていく。  そうして少しずつ夜の時間が長くなっていく。  美琴     :「この時間でもうこんなに暗くなって……」  ふっと夜空を見上げる。  空に浮かぶ月はほんのりと橙色に染まっている。  闇のような夜空に浮かぶ月の美しさに思わず足が止まってしまう。  美琴     :「啓介さん……」  ふとそんな言葉が口をついで出る。  啓介さん。たいせつなひと。  名前を呼ぶだけでみるみる頬が赤くなっていく。  これだけは、どんなにどんなに一緒にいても変わらない。  むしろ想えば想うほどますます赤くなっていく。  美琴     :「待って、いますよね……」  待ち合わせ場所で待ち合わせ時間よりも早く到着しているであろう啓介のこ とを思ってまた顔が赤くなる。  土用の丑の日。世間一般ではうなぎを食べる日で定着してる日。  美琴の家でも毎年、土用の丑の日には一家揃ってうなぎを食すことになって いる。  そういう彼女の家の事情を知った上で、土用の丑の日をはずして二人でうな ぎを食べにいこう、というのが美琴の彼、啓介の提案であった。  そして今日は約束の日。  美琴にとっても啓介にとっても二人っきりで会うのは久しぶりになる。  美琴     :「啓介さん……すぐ、行きますね」  急ぎ足で啓介との待ち合わせ場所に向かう。  少しでも早く到着できるように裏道を通る美琴。  しかしその道の先に、行く手をさえぎるような影が一つ。  少女     :「魔性の者……」(ぼそ)  そう呟く少女の背では一対の羽根が月の光を受けて、美琴の行く手を阻むよ うに大きく広がっている。  美琴     :「……だ、だれ?」  少女     :「貴様に名乗る名などない。魔性の者め」  美琴     :(ぴく)  魔性、そうよばれて美琴は動揺する。  狐狗狸と呼ばれる霊に憑かれ、第三の目の魔力を秘める者。  それが美琴のもう一つの姿である。  しかしその異能ゆえに、美琴には常人には見えないモノが見え、聞こえない モノが見える。  美琴     :「そんな偽者の羽根をつけているヒトにそんなこと言われ         :たくありませんっ」  少女     :(ぴく)  美琴の目には、少女の羽根は彼女自身のものではなく、別の何かによって作 られたものが無理やりつけられたように映った。  少女     :「それも貴様の魔の力か……面白い」  少女     :「その魔の力、頂こう」  少女が手に何かを持った。。  美琴は身構えた。  美琴     :「(啓介さんっ!助けてっ!!)」  少女     :「神の名の下に、魔を滅する!」  その刹那。  少女が美琴のそばに駆け寄り美琴の額に何かを突き刺す。  それはちょうど第三の目の……  美琴     :「うわああああぁぁぁぁ」  美琴の身体に激痛が走る。  少女     :「ふっ」  突き刺したものを一気に引き抜く少女。  その先には一滴の血もついてはいない。  その代わりに狐狗狸の霊力がまとわりついている。  しかし、今の美琴にはそれを見るだけの力はなかった。  少女     :「お前の内にあった魔の力はここにある」  美琴     :「……ぅ……ぁ……」  少女     :「そのうち身体の痛みは消える。気にするな」  もう一度少女の姿を見ようと顔を上げたが、既に少女の姿はなかった。  気配を手繰ろうとするが、第三の目を奪われた美琴はできなかった。  美琴     :「け、けいすけ……さん……」  激痛に耐え切れなくなった美琴は、崩れ落ちるように倒れてしまった。 ぼやく気随 ----------  破れた屋根から覗く月というのは、何故にこれほどまでに綺麗なのだろう。  青白く浮かぶ半月から漏れ落ちる光をスポットライト代わりに、彼女はおん ぼろのベッドに寝転がり。  月光のシルエットに浮かぶその顔は、瞠目しているようにも、虚脱している ようにも見える。  ……しかし。しかし部屋の空気はそれにしては張り詰めすぎて。気分がよろ しいものではない。  響      :「……祝詞なんかいっくらつぶやいても。やっぱ探さなき         :ゃ見つかるものも見つからないか。伴天連の連中は日本語         :わからんのかもしれんしなぁ」  ふ、と目をあけて口ごちる。それまで呟いていた言葉を、祝詞をやめて。  張り詰めた空気がしぼむように消える。気が抜けた、とでもいうのか、響の 表情には諦念の色が薄く浮かぶ。  気に入らない、ただそれだけの理由ではじめた天使憑き討伐。きっかけがそ もそもいい加減なのだ。案の定、多少調べた程度じゃろくな情報もありはしな い。  だいたい、風来坊の響にはこの街にろくな知り合いも情報源もないのだ。そっ ちの筋は最初からあきらめている。  となればほかに手もなく。  響      :「なんか異能とか霊力とか食うらしいから、これみよがし         :な祝詞ぶつぶつつぶやいてみたってーのに。無駄? 無駄         :足? むしろイカれた美人っぽい?……はぁぁぁぁ」  盛大なため息。  はなから期待していたわけではない、が、細い糸が一本ぷっつりと切れたの を自覚しないわけにはいかない。  響      :「いっそこぉ、いますぐ屋根ぶちやぶって降ってきてくれ         :ないかなー。楽なのになー」  いかにも乱暴。いかにも気随。いかにも剣呑。  だが。そんな気随者の言葉を聞き入れる神も――あるいは気随なのかもしれ ない。 応じる憤怒 ----------  響      :「……ん?」  そんな響の呟きに呼応するように、外の風が強くなる。  まるで、廃屋を吹き飛ばそうとするほどの強烈な大風となり、そして気紛れ な大風はぴたり、と一瞬でその息吹を止め。  声      :「ならば、その軽口を一生後悔するが良い」  幼き声と、天井が四角く切り取られるのは、ほぼ同時だった。  しかし、その声にも慌てる様子のない地上の響。どちらが脅威なのだかわか りゃしない。  響      :「(くんくん)臭う、臭うよ? 伴天連のいやーな臭いが         :するなぁ。きたかなぁ?」  どすっ、と落下した天井の一角より降臨するのは、一人の少女。  天井が一気に崩壊する。しかし、それを意にも介さない美女一人。はっきり いって、怖い。  降臨した少女を警戒もせず、それどころか胸元からシガリロまでとりだしつ つ。性悪狐はニヤニヤ笑う。爽やかに。爽やかに。  響      :「んで、なんて呼んだらいい? 天使憑き。……天使にし         :ちゃあ、ちょっぴし羽が変な気もするけどそーゆーのトレ         :ンド?」  ……刹那で張り詰めた空気の中、飄々とした美女と無表情な美少女は対峙す る。  少女     :「これから滅する者に、名乗る名などない」  響      :「同感。あたしも名乗りたくないし。……これから滅する         :異教の徒になんか」  少女     :「黙れ! 滅するのは私だ!」  無表情だった少女の顔に浮かぶのは、ただ純粋なる憤怒。まるで、その感情 だけを抽出されたような、その顔。  対峙する響の表情は、酷笑。目の前の少女がおかしくて仕方がないとでもい うように。  ……いや。きっと本当に本音で本気に、おかしくて仕方ないのだろう。  響      :「むりむり。絶対無理。こんなのも見切れてないんじゃ」  瞬間。  少女の背後に聞こえるのは風切り音。一つ、二つ、三つ、四つ。憤怒の貌の、 その裏へ。  少女     :「……フフッ」  少女にそれは見えない。ただし、少女は感じられる。なぜなら。  少女     :「あの男の奇跡、なかなかに使えるな」  ……鈍く光るナイフ。それが少女の背中にささって、  響      :「……はれ?」  ――と見えた直前、少女は動く。まるで、高速で飛来するナイフの軌道が“ 視えて”いるかのように。  一つ避け、二つ避け、三つかすめて、四つ目は突き刺さる。  ただし、最後のナイフが突き刺さったのは、その異形の翼。  少女     :「貰ったものは、返すぞ」  響      :「なんで一本しかあたんないのさー。ちぇ。いいけど」  愚痴る女を睨みつけ、少女は翼を一振りする。  銀色に光るソレは、宣言通り返され。  ……鈍く光るナイフ。それが響の顔にささって、  響      :「あんがと」  ――と見えた直前、投げ返されたそれを苦もなく左手一本で捕まえる。  まるで剣呑なキャッチボール。憤怒と気随のその間で。  ふ、と笑い一つ。くわえたシガリロにその炎を宿して。  響      :「――んで。そろそろ滅してもいい?」  少女     :「それは我のセリフだと言っておるだろうに」  響      :「ご冗談。吐普加身依身多女……ん?」  少女     :「今すぐ、魔は――あぁっ」 両手一杯の果物 --------------  その変化は、唐突に訪れる。  憤怒の形相が崩れ、その後に現れるのは、それまで抑えられていた諸々の表 情。そして、ひぃ、という掠れた音。  少女     :「わ、わ、わた――我は、我だ!」  再びその顔が憤怒に塗り潰された時、少女の体は空に舞い上がろうとしてい た。  響      :「二面? ……いや、多重、重なりきれない異物……めん         :どくさいっ!  両方潰すっ!」  少女     :「我は、我は我は我は我は我は!」  まるで、呪文のようにそのセリフのみを唱えつつ、少女は天井の穴へと昇っ ていく。  響      :「ええいっ、自己崩壊してないでとっとと降りてきやがれ         :こんの、白黒天使がぁ」  響は吼える。知ってしまった、いや、わかってしまったことを吼え潰すよう に。  しかし、その怒りの声は、もはや少女には届かず。  あとに残されたのは、中に舞う羽根のみ。 ヤサシサは誰の為に ------------------  響      :「逃げた……つっまんねー」  ただ口ごもる。震えを隠し切れない足のために。  ……そのまま対峙すればどうなっていたかわからない、自分の読みの甘さと 相手の更なる詰めの甘さを吐き捨てるがごとく。  響      :「にしても、黒の羽に白の羽に。……ほっといても自壊す         :るかな、ありゃ」  響の目に映った少女は、今にも千切れそうで。  物を詰め込みすぎていまにも壊れそうなおもちゃ箱のそれで。  表へでて、愛機にまたがりながら一つため息。  響      :「……ほっとくと寝覚めわるいかなー、あれは」  つぶやく顔は、いつもよりほんの少しだけ、優しい。  ……しかし。  響      :「でもなぁ」  エンジンをかけた瞬間、その表情は一変する。ふてぶてしい、爽やかな笑顔。  ――猫回しに「剣呑」と評させたその表情に。  響      :「あたしゃ、やられっぱなしって嫌いなんだよねぇ。勝ち         :逃げとかもっと許せないんだよねぇ」  響は想う。少女はこのままいけば遠からず崩壊するだろう。  ……壊れてしまうのなら。  『コワレルマエニ、アタシガ、コワス』  ……アクセル一発。ドゥカティは爆音を立てて疾走を開始する。闇へ。 $$ **********************************************************************