********************************************************************** 二年三組、岩切幸子の事例   オカルト研究会レポート『霊組教室とそれにまつわる怪談について』より  わたしは、みっちゃんって呼んでました。あの娘のことを。  ええ、よくよく憶えています。  小さい頃から、なにをするにしてもいっしょでしたから。  みっちゃんはおとなりに住んでいて、いつも楽しそうに笑っていて、一輪車 に乗るのがすごく上手でした。  わたしに出来ないことはなんでも出来たみっちゃん。縄跳びは、二回だけだ けど三重跳びだ跳べました。鉄棒で、逆上がりの出来ないわたしをカラス が鳴くまで根気強く特訓してくれました。どうしてもダメだった給食の牛乳を、 嫌いな小おかずを、代わりに嬉しそうに食べてくれました。  そんな他愛の無いことも、なにからなにまで、憶えているんです。  幼稚園、小学校、中学校から高校まで、ずっと同じ学校に通いました。  同じ高校に決めた時は、少しもめました。わたしの学力なら春日あたりまで 狙えるって、先生が言っていたからです。 「高校は勉強に行くところなんだからね! 友達が行くから自分もだなんて、 そんなのダメだよ」  みっちゃんは、少し照れたように笑ってから。頬を膨らませていかめしい顔 を作り、わたしに言いました。  わたしはけれど首を振ります。そんなことで、勉強なんてちっぽけなことで、 みっちゃんという大切な人と別れてしまうなんて、そんなこと、わたしにはで きませんでした。 「だって、勉強はどこでもできるけど、みっちゃんはそこにしかいないでしょ?」  それで結局わたしは、お母さんも先生も説き伏せて、西生駒に通うことにし たのです。  初めて会ったのは、いつだったかな。母が言うには、滝川に引っ越してきた とき、ちょうど幼稚園に上がるころですね。母に連れられて挨拶に行ったのが 最初だっていうんですが、わたしは全然憶えていません。  記憶っていうのはきっと、どうでもいいことから順繰りになくなっていくも のなんでしょう。  わたしが、わたしとして記憶しているかぎり、わたしは初めからみっちゃん のとなりに居ました。十六歳までの記憶で、みっちゃんがいないものなんてた だの一つもありませんでした。  だから時々、こんな風に思っていました。  もしかすると『わたし』は、みっちゃんと出会ってから、みっちゃんのとな りに居るものとしてこの世に生まれてきたんじゃないか。みっちゃんが居なく なったら、わたしもいっしょに消えてしまうんじゃないか。って。  おかしいでしょう? 分かっています。こんな考えは、ただの妄想に過ぎな いってことは。本当はちゃんと、わたしとみっちゃんは別の人で、それぞれ別 々に生きていたっていうことは!  あの日は朝から雨で、わたしは憂鬱でした。  雨の日の朝は寝癖がなかなか治らなくて、学校に着いたのはギリギリ八時半 過ぎ。テスト直前で、しかもテスト範囲は全て終えた、教師も生徒も気の入ら ない授業をこなし。昼は購買で買った、しなびた菓子パンを食べる。  そこにあったのは、切って抜いたように、どうしようもなくありふれた日常 でした。気がつけば、渇いた口にイチゴミルクを流し込みながら、水気の少な いパンをほおばって、次の数学の授業について考えていました。  一人で。わたしは一人で、そうしていたんです。  外を見ると、黒ずんだ雨雲の空。ざあざあと降りしきる雨の音は、閉めきら れた窓枠に遮られて聞こえません。  私はコツンと、額で窓を押しつけました。  冷たいガラスで遮られた世界は、どこか遠い異郷の映像みたいで、現実から 遊離して見えます。  頭を垂れる、青々しい草色。濡れた紫陽花の紫。なにもかもが、わたしとは 関係の無い世界でした。  そんなことを考えているのは、きっとこの学校の中でも、わたしくらいだっ たでしょう。それなら、もしかすると現実から遊離しているのは窓の外ではな くて、今それを見ているわたしの方なのかもしれない。  そんなことを考えるとますます憂鬱で、ため息が漏れました。  目の前のガラスが一瞬だけ、白く曇ります。 「The snail's on the thorn; God's in His heaven - All's right with the world!」  教壇では英語教師が、ピパの歌を朗読しながら、順繰りに生徒を当てて、訳 させていました。  時は春  日はあした  あしたは七時  七時になるとわたしは起床をして  制服を着て、トーストを焼いて  みっちゃんが迎えに来るのを待っています  片岡に露みちて  揚雲雀なのりいで  蝸牛枝を這い  気持ちいい朝! 「……岩切さん、次のセンテンスを……」  神、そらにしろしめす  すべて世はこともなし  すべて世はこともなし!  時は梅雨  空は曇天、ざあざあぶりの雨  草も木も頭をたれて  それはまるで  を祈る うに、  祈るよ に…… 「岩切さん? 岩切さんッ!?」 「え、あ……」  先生の声に、咎めるような、ついで驚いた声に、わたしは顔をあげました。  名も知らない、クラスメイトの女子がなにかを言いました。 「先生、岩切さんは、この いだ んだ   んの 友で 今  神 に    定な   」 「そ ね、 ゃあ  さ  次 セ  ン    」  ツギハギの音が耳に入ってきます。先生たちはいつも、なにを言っているの か分からない言葉で喋っています。 「」